2/24, 2020
父親はよく「勉強しろよ」と言う「だけ」だった。父親になってみると分かるが言ったことにより自分への免罪符が発行されるのだ。つまり「お父さんは勉強しろと言ったはず、だがお前はしていない。だからお前が悪い」というやつだ。当然ながら言われただけでは子供にとっては何の導きにも標にもなっておらず徒らに心が煽られ焦らされ苦しめられるだけだ。卑怯である。というわけで午前中はつきっきりでドリルをやった。これが毎日継続出来ればいいかも知れないが、少年の勉強への向き合い方がスペクトラムのかなり濃い方向のようで、そのスイッチの切り方、シャットダウンの仕方がちょっと独特、一筋縄ではいかない、見たことがない感じ。古典的な塾講師のメソッドで発破をかけて今日はやりすごしたが果たしてこのやり方がよいわけないだろう。だがベストな方法などこちらに分かりようもない。少年を育てるのは初めてなのだから。
夜は校正。そろそろ腰を据えて読まねば(だが。